ふくなは今日も生きづらい

25歳独身社会不適合干物女は今日も生きづらい理由を模索する

診断書をたたきつけました:うちがブラック企業たる所以

こんにちは、ふくなです。

 

 

今回は私の今の職場での境遇と現在に至った経緯を綴りたいと思います。

 

 

ーーー

 

私が勤めている企業は美容室を経営しています。

 

私はそこの事務として働いています。

 

業務内容としては、毎日各店から送られてくる日報をまとめたり、

お店に張り出すPOPを作ったりなどなどです。

 

私はここでしか働いたことがないので一般企業を知りませんが、

多分一般的なサラリーマンやOLよりやることは少ないです。

 

 

正直なところ毎日スマホでゲームをするために会社に通っています。

 

 

朝9:00に出社し、PCの前に座ってはスマホでゲーム。

12:00過ぎに1時間の休憩、その時は近い自宅へ一時帰宅し、

ご飯を食べて・寝て・1時間半くらい経ったら事務所に戻ります。

 

そしてやらなければならない仕事をスマホ片手にこなし、

終われば仕事用のPCで攻略を見ながらスマホゲー。

 

 

書いてて冷汗が出ますね、一応内緒にしていることなので。

 

 

 

事務所は私を含めて合計4名の方が働いています。

 

1人目はCさん。

社長のご息女で、事務所のほぼ全ての覇権を握る人物です。

が、ただいま育児に追われていてほぼ事務所にはいません。

 

あ、書き忘れていましたがうちの企業は中小企業です。

店舗と言っても4店舗ですし、距離も数分の所に密集している地域密着型です。

 

そんな中小企業且つ社長のご家族ですから、給与等関係なしになんとも自由に

子供を抱えて出勤する日もあります。

給与計算は彼女がいないとできないからです。

 

ですが最近は乳腺炎が多発するらしく、とても大変そうです。

(私はこんなに暇なのになあと思いつつ、お金のことは任せられないのもわかるので、

無理しないでくださいとしか言えませんが。)

 

 

2人目は社長の奥さん。

給与以外の経理をやったりやらなかったり、彼女は基本神出鬼没なので

事務所にはほぼいません。

いたらいたで永遠にしゃべり続けるおしゃべりマシーンなので

正直耳障・・・これぐらいにしておきましょう。

 

 

3人目はUさん。

経理担当のパートさん。

ずっと長いことここで働いているらしく、様子も可愛いおばあちゃんなので

みんなの人気者。

 

基本9:30~16:00まで平日は毎日いるポジションだったのですが、

最近は孫の面倒を見なければならないらしく、出勤しなかったり

午前中に上がってしまうことがほとんどです。

 

現場から事務所に経理のことで電話があると、大体はUさんにしか

答えられない事案なので、私は力なく明日また掛けなおしてと伝えることしかできません。

 

 

 

以上が事務所のメンバーですがお気づきになりましたでしょうか。

 

そう、現在事務所にはほぼ人がおらず、いるとすれば正社員で9:00~18:00まで

PCの前に座り込んでいる私しかいないのです。

 

こんな空間ですからゲームが捗って仕方がないんですよね~

 

 

こんなわけなのでやりがいもない、自分が何のためにいるのかもわからない、

給料は低いし祝日なども出勤になる。(現場の人は祝日関係なく出勤のため)

 

 

生きづらい

 

 

ここまで考え込むといつも八方塞がりになり、この一言にたどり着くのです。

 

もっと給料が高くて、もっとやりがいのある仕事に転職すればいいじゃんと思うでしょう。

それは嫌なんですよね~wwwwww

 

言ってることちぐはぐすぎて自分でも腹が立つんですが、

今のこの社会不適合スタイルも捨てがたいんですよ。

 

何をやるにもやる気が起きず、今以上に仕事がハードになると思うと

辞めたくなるんじゃないか、辞めたらまた仕事探しをしなくちゃならない。

出戻りは見栄っ張りな私には恥ずかしくてできないし・・・。

 

 

先のことを考えると今の職場も手放しがたいのです。

 

 

でもやっぱり趣味にたくさん割けるほどのお金はないし、

事務所に私の存在価値はないし・・・。の堂々巡り。

 

 

面倒くさがりな私はこのあたりで生きるのがめんどくさくなっちゃうんですよね~。

 

 

 

 

ここでそもそも何故私がこの企業で事務仕事をするに至ったかを書きます。

 

 

 

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もう4年・5年ほど前でしょうか、私はこの企業に美容師になるために就職しました。

 

 

まあ当たり前ですよね、こんな小さな企業でそもそも3人も事務所に

人がいたんですから、事務で求人を出してるわけはないですよね。

 

 

私は北海道の出身ですが、北海道の専門学校を出た後は道外に就職することを

決めていました。

 

なんでだったでしょう。

一番の目的は家を出ることだったように思います。

 

周りにはせっかく美容師をやるなら東京で、など話していたような気がしますが。

 

 

私の実家は札幌から電車で40分くらいの片田舎にあります。

 

積雪量がえげつなく、冬は家や車が埋まらないよう雪かきをするのが一苦労でした。

(大きくなってからというもの、全然手伝わず母にばっかりやらせていましたが)

 

最寄りの駅には1時間に数本しか電車か来ず、

専門学校には1時間以上かけて通っていました。

 

とにかく住みづらいということを把握していただければOKです。

 

 

私の家族は4人家族です。

 

父、母、私、妹、あとは2匹ですね、犬がいます。

 

家庭環境はまた別で詳しく書こうと思いますが、父親の暴力や母のヒステリックがある、

ある程度不幸な家庭でした。

 

そんなんで早くひとり立ちしたかったのだと思います。

 

そもそも美容師を志したのも、なりたいものは歌手だったり女優だったりで

現実的でないものだったので、手に職つけてさっさと独り立ちできる美容師にしようと

思ったのがきっかけでした。

(小学生のころから論文には美容師になりたいと書いていましたが、

純粋に美容師にあこがれていたのは小学生までで、

中学生以降は夢もくそもありませんでしたね。)

 

 

そして無事上京した私は美容師としての一歩を踏み出したのです。

(入社時メンヘラ彼氏と一悶着あった話はまた今度)

 

 

 

一年目・二年目ととても順調に成長していたと思います。

要領は悪くない方なので

(何でもこなすがある一定から成長できないいわば器用貧乏タイプ)

シャンプーやカットなどのテスト合格は、同期内でいつも一番乗りでした。

 

ただクリエイティブ系のコンテストで入賞したことが一度もなく、

この頃から独創性やセンスは自分にないのだと薄々感じていました。

 

 

二年目の中頃からアシスタントがスタイリストになるために、

モデルさんを自分でお店に呼んで、髪を切らせてもらう工程に入りました。

 

 

今でも無くはないですが、減りつつある「モデルハント」というやつです。

 

 

コロナの影響ももちろんありますが、最近は不審者と間違われて

通報されかけた美容師がいたりと、時代にそぐわないということで

自分でモデルハントをすることは減りました。

 

その代わりネットでモデル集客ができるツールがあり、それを活用してモデルを

集めるのが現在では主流です。

 

 

私がモデルさんを始めた頃はまだそのツールを

社内で使っている者がおらず、先陣を切って積極的に使用しました。

おかげでたくさんモデルをこなすことができ、

スタイリストデビューも同期内で一番の予定でした。

(その代わりそのツールの使い方を社内に広める説明会の主催者をやらされましたが。)

 

 

私、すごい頑張ってたんですよ。

 

 

何がってモデルさんをやる事でも、早くスタイリストになる事でもなく

「美容師をやめないこと」を頑張っていました。

 

 

美容師をここまで続けてきたのは、美容師を辞めたら

学校代を払ってもらった親に悪いだとか、

一緒に上京した友達はみんな美容師を辞めてしまって、

残ってる私がスタイリストデビュー出来たら自慢できるな、とかそんな理由でした。

 

 

実際モデルさんの髪を切っていても、全然やり方を理解できていないから

先輩の指示を仰がないとカットできない。

カラーも経験が浅いので当たり前ですが思うような色にならず、

後日もう一度カラーをやり直すためにモデルさんに店に来させる

なんてこともありました。

 

もちろん経験も大切な職ですから、今スムーズにできないのは当たり前です。

が、失敗が嫌いな私には耐えられませんでした。

 

しかももし経験を積んでできるようになったとして、指名がつくようになったとして、

毎日切って、塗って、切って、塗っての単調作業の

繰り返しだと思うとお先が真っ暗になりました。

 

 

 

私は学生時代から接客のアルバイトをしており、お客様の扱いが人より上手でした。

 

アシスタント時代の同じ店舗にもう一人同期(男)がいたのですが、

彼が特別接客が苦手で、

彼のことを受け付けない・クレームを入れたお客様や、一風変わったお客様等

厄介な仕事が私に回ってくることが多くありました。

 

そして類は友を呼ぶのでしょう、そういう変な人に好かれて

指名になってしまうことが常でした。

(無理やりスタイリストに、「次からあの人やってね」と

押し付けれられこともありましたが。)

 

昼のキャバクラとはよく言ったものです。てっぺんが禿げ上がったおじさんに

 

「彼氏いないの?」

「六本木にデートに行こう」

「今日家に迎えに行くから待っててね」

 

半個室で周りに人がいない、シャンプーをしている時二人きりの時に

言われるんですよ?ぞっとしませんか?

このままスタイリストになったら、こんな奴らの髪を切って

接客しなくちゃならない・・・そう思うと嫌すぎて自然と涙が出ました。

 

 

 

そしてこの時一生懸命だった私を応援してくれていた店長が産休に入り、

やる気があるのか無いのかわからない、年功序列で仕方なく店長になりました、

というような方が店長になりました。

 

日々の業務は変な客を押し付けられ、それから逃げていたら仕事を選ぶなと

店長に背中を叩かれ(物理)、モデルは何の成果も得られず正解がなんなのかわからない。

 

 

この頃は毎日死にたいと思ってました。

 

 

別に好きでもない仕事を、何故趣味を潰してまでやらなければならないのか

さっぱりわかりませんでした。

(学生時代は一日6時間以上やっていたゲームをこの頃は一切しなくなりました。

しなくなったというより消耗しきって、できませんでした。)

 

 

あと少しでモデルさんが目標人数に達し、スタイリストデビューできるというところで

私は母に泣きながら仕事を辞めたいと電話しました。

 

必死に涙を堪えましたが、辞めたいという私の言葉に仕方ないよと

優しく声をかけられるとうまくしゃべれない程ギャン泣きしました。

(それでも平静を装おうとしていたプライドの高さは異常)

 

 

後の記事でも書きますがうちの企業は辞めたいの一言では辞めさせてくれません。

ましてやデビューに王手のかかっている私をやすやすと逃すわけがありません。

 

ごたごた言われるのを回避したかった私は奥義を発動しました。

 

 

適正障害の診断書をたたきつけたのです。

 

 

精神病の診断書があれば、あちらも何も言ってこれまい。

速攻心療内科に赴き、診断書を書いていただきました。

 

 

本当に私の症状がしっかり適正障害だったのか、そういう悩みを抱えている人が

多いからなのかわかりませんが、最初の軽い診断が終わった後、

先生が放った一言は「診断書が欲しいんでしょ?」でした。

 

 

私自身仕事が嫌なだけで、本格的(?)に精神疾患を患っているとは思っていなかったので、

話の分かる先生でよかったなと思っていました。

お値段は張りましたが、診断書を出していただき店長とのミーティングに行きました。

 

 

そもそもその時の店長とはあまり仲が良くなかったので、彼女には診断書を

見せずとも話は通してくれたとは思いますが、その後の総店長が最大の敵でした。

 

人事の最終砦みたいな人物です。

 

口がうまく、なんやかんやで退職をもみ消してきます。

そんなラスボスも診断書の前では無力でした。

 

 

朝のタリーズでモーニングをいただきながら、辞める旨の話をしました。

診断書があることは店長から事前に聞いていたのでしょう。

特段考え直してほしいという旨の話はされませんでした。

 

 

ただ一筋縄ではいかない総店長、私にある提案をしてきました。

 

 

 

「うちの事務所で働けばいいんじゃない?」

 

 

 

・・・確かに辞めたいと言いふらしていたある時

(私が会社を辞めたいという認識を広めれば辞めやすいだろうという算段)、

事務所のTさんや社長は事務所で一緒に働かないか、と言ってくださっていました。

 

私が根暗でPC操作などの作業のほうが得意というのは周知の事実でしたし。

(よく考えればお店の機械回りも全部丸投げされてましたね、思い出すと腹立つ。)

 

 

その話をしていたのが夏頃、正式な退社日は9月末に決まっていたのですが、

猶予が3か月くらいあり、辞めた後の予定はまだ決めていませんでした。

 

選択肢としては①東京に残り仕事を探す ②実家に帰り、いったん体制を立て直す

 

ただ①には懸念点がありました。

当時私は友人と2DKをシェアハウスしていました。

(まあ現在もそうなんですが。)

 

ちょうど10月がそのマンションの更新月であり、その友人は退去予定だったので

誰か他に住んでくれる人を見つけないと、そのマンションを手放すことになり、

とてもじゃないが東京では生きていけないと思っていました。

(駅近・職場近・バストイレ別・家賃は折半なので5万円程、都内じゃ破格ですし

超いい物件だった。言わずもがな東京で1Kを借りようとすると安くても7・8万はする。)

 

 

という理由からこの時はまだ②が有力候補でした。

 

 

しかしここで現るは同期のパリピF。

千葉のヤンキーでやりマンビッチな彼女(同期という特別枠じゃなければ

普通に嫌いな人種)ですが、

私が10月にはこの会社を辞めて北海道に帰るという旨を伝えると、

「私がそのマンションに一緒に住むから辞めないで」と引き留めてくれました。

 

正直あのマンションに継続して住めるのなら、わざわざ居心地の悪い実家に

帰ることもないし、転職活動をせずに事務職に就けるのは最高の条件でした。

 

 

 

そして今に至ります。

 

良物件のマンションは同期のおかげで退去せずに済み、転職活動をスキップして

念願の事務職に就くことができたのです。

 

・・・何がそんなに不満なんでしょうか。

 

同期や職場の方に拾ってもらって、何をそんなに贅沢を言っているのでしょう。

散々喚き散らして、結局会社に居座る私も大概図太い。

 

これ以上書くとただの自己嫌悪メンヘラかまちょに成り下がるので(既になってるけど)

胸中を書くのはこの辺にしておきます。

 

 

とりあえず現状生活に不満がある事。(美容師を辞める時ほどではないですが、

人生を営むのがめんどくさくなることはあります。)

過去には精神を病むほどのブラック企業で働いていたこと。

 

この二点を前提に、いろいろな記事を書いていこうと思っております。

長くなりましたがこの辺で、ありがとうございました。